欲利の心
昨日やっと試験が終わりました!(何の試験かまた別の日のブログで)
ひとまず目標達成です!
ちょっとした達成感と幸せを実感しています。
まあ、目の前にまだまだ片付けなければならない仕事が山積みですが、
ここでほっと一息。
もしかしたら、日々このほっとする瞬間のために、
人々は必死にやるのかもしれません。
それで終わった瞬間に、
我慢してきた「欲」が姿を表す。
まず、何かをおいしい物を食べたい!(焼き肉とか、ケーキのような甘いものとか)
ゆっくり眠りたい。(結局早く目がさめるけど)
次は決まって物欲。(洋服を買いに行きたい)
とか...いろいろな「欲」が沸いてくるわけです。
何かを我慢してきた反動でしょうね...
最近勉強した漢文にこんなことが書いてありました!
白文
人無毛羽,不衣則不犯寒。
上不屬天,而下不著地,以腸胃為根本,不食則不能活。
是以不免於欲利之心,欲利之心不除,其身之憂也。
故聖人衣足以犯寒,食足以充虛,則不憂矣。
衆人則不然,大為諸侯,小餘千金之資,其欲得之憂不除也,
胥靡有免,死罪時活,今不知足者之憂,終身不解,
故曰:「禍莫大於不知足。」
書き下し文は以下
人毛羽無し。衣ずんば則ち寒に犯へず。
上は天に属せず、而して下は地に著せず。
腸胃を以て根本と為す。食せずんば則ち活く能はず。
ここを以て欲利の心を免れず。
欲利のこころ除かざるは、其の身の憂へなり。
故に聖人は、衣以て寒に犯ふるに足り、
食以て虚を充たすに足れば、則ち憂へず。
衆人は則ち然らず。
大は諸侯と為り、
小は千金の資を余すとも、
其の得んことを欲するの憂へは除かざるなり。
しょびも免るる有り、死罪も時に活く。
今足るを知らざる者の憂へは、終身解けず。
故に曰く、「禍は足を知らざるよりも大なるは莫し。」と
漢文というと、「もうええわ!」って
拒否する人もいますが、
勉強となれば、イヤになりますが、
今日はこの「欲利の心」
について、分析してみたいのですね...
しばらくご我慢を!
この文の意味ですが、
すこし意訳の部分がありますが、
つまり、
人は動物のように、毛がないから衣服を着る。
植物のように、大地から栄養をもらっていないから、
結局は胃腸(食べること)で生きているんだ。
何も与えられていないからこそ!
人は「欲利の心」があるんだと...
この「欲」の心を持つことで、
また人々が憂い(悩み)がなくならないと...
でも聖人(悟りを開いた人)は違う。
彼らは、「満足」を知っているからこそ、
衣服が寒さをしのぐだけで足り、
食事もお腹を満たせば、それで満足なわけだ。
でも凡人はやはり違う
大きい望みは立身出世で、
小さいな望みでも財を増やそうとする。
このようにいつまでもこの「欲」がなくならない。
死刑囚でも、
時には無罪放免になることがあるのに、
満足を知らない人間は、
この「欲利の心」は一生放免されない。
だから、人生の最も大きな災いというのは、
やはり、「満足を知らない」ということだ!
まあ、日々「満足を知って」生きろよ!
そうすれば、悩むことはない!
簡単にいうと、そんなことです!-つまり、常に欲ばかり追い求めるばかりでなく、
そこで一回満足して、
今の幸せをかみしめ!
ということでしょうね。
なんかとっても感慨深くて、
今の私にびったりマッチしてるわ!
と思いましたね。