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魯迅の道とは何か

再び魯迅の「故郷」
魯迅の名言
「思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」
一言でいえば、これは魯迅の人間観、人生観、国家観の表れともいえる文章です。
昔教科書で「故郷」をきっと勉強したに違いないが、
私はなぜか内容を全く覚えていなかった。
歳をとってから読むと、
若いときには見えなかったものが、
見えるようになるのは、なぜだろうか。
魯迅が語る「道」には、大きな民族が想起されているが、
私の「道」はあくまでも個人の人生に収まっているもの。
自分の道もままならないのに、大きな民族の道なんて、語れるのだろうか・・・
語れるには、自分はあまりにも小さな人間だと、
改めて思ってしまいます。
人って、それぞれ自分の道を歩んでいるわけで、その道というのは、時には立ち止まり、迷い、けれども、それでも先に進まなくてはなりません。
自分の道だけでも歩くのは精一杯のはずです。
しかし、魯迅のいう道は、
世の中を変えたいがために、
「みんなで目指せば希望は叶う」というスケールの大きいものなのです。
「同じ希望に向かって努力する人が多くなれば
その希望は必ず実現される」ということ。
つまり、
元々,この世の中によい社会、ルール、決まり、よい生き方などは存在しない。
よい社会やルール,決まりを創りあげていこうと努力する人が多くなれば,それがよいい社会の創造につながるのだ。
そんな意味の深いものだったのです。
私は、自分の道だけを歩んでいるようにもみえたが、そこには、道を作っている一人でもあるということ、改めて、自分も当事者の一人なんだと実感しました。
そして、一人一人歩き始めなければ、それが道にならないのだと・・・
そして私たちは歩き始めなければならないし、
立ち止まらずに歩き続けなければならないのです!
歩かなければ、それは、閏土の香炉と燭台、
つまり、偶像崇拝と変わらない。
魯迅は閏土の偶像崇拝をこう言っています。
「只是他的愿望切近,我的愿望茫远罢了」
訳「ただ、彼の望みが身に迫ったもので、私の希望がはるか先のぼんやりしたものである違いだけなのではないか」
自分自身が抱いている希望も、実際は自分が作り出した架空の像なのではないのか。とも自問自答しています。
私も自分の人生について、
同じように毎日自問自答しつつ、
自分の夢や願いは、
実際は自分が作り出した架空の像なのではないのか。
日々迷いながら、生きています。
それでも、私は、
自分の道を進まなければならないのです・・・

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魯迅の「故郷」に心を打たれる

昨日、魯迅の「故郷」の小説に触れた。
最後の一節に、
「思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」
昨日からこの言葉に深く考えさせられたものである。
原文の中国語の本文も実に素晴らしく、
きれいな文書でした。
「我想:希望是本无所谓有,无所谓无的。这正如地上的路;其实地上本没有路,走的人多了,也便成了路。」
なんとも深い言葉である。
久しぶりに感動しました。

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