年末年始休業のおしらせ♪
アトリエルーチェの年末年始のお休みは
12/28~1/3
新年は1/4からの営業です!
今年は良い一年となりました。
来年も変わらぬご愛顧のほど、
よろしくお願い申し上げます!!!
アトリエルーチェの年末年始のお休みは
12/28~1/3
新年は1/4からの営業です!
今年は良い一年となりました。
来年も変わらぬご愛顧のほど、
よろしくお願い申し上げます!!!
気がつけば、20日ほどブログを放棄してました
21日で今年最後のお客様をおくり、
仕事は一段落がついて、年賀状も終わり、
ホッとしたのに、
次から次へと野暮用で、
なぜかバタバタと終わらない年末を過ごしています。
皆さんは今年どんなクリスマスを過ごしましたか?
私は24日のクリスマスイブは、
もちろん家族で過ごしました。
今年はケーキを作り、
25日はローストビーフも作り、
焼いて
切ると...(大成功!)
家族には大好評でした!
因みに我が家のツリーはこんな感じ
そして私の主人と
土岐にある「とうき」という創作フレンチで、
クリスマスランチをしました!
いつも時間がすれ違ってばかりで、
実に半年ぶりの二人っきりの時間でした
いつも時間に追われてばかりの人生。
あっという間に時間が流れていく中、
こんな一時が大切なのかもしれません。
そんなクリスマスを過ごしました!
幸せです♪
気がつけば、またあっという間に一週間がすぎました!
今日は先日の「迷いの窓」と「悟りの窓」の話の続きです。
約二年前、ちょうど大震災があった直後に、世の中が急に不景気になりまして、
貸衣装のルーチェも例外ではありませんでした。
結婚式が急激に減り、ブライダル業界はかなりの打撃をうけました。
そんな中、もっと売り上げを伸ばしたいと思い、
いろいろと経営者として奮闘するわけですが、
(ご存じドレスの卸業もやっており、)
新たな業者獲得のために営業に回ったり、
タキシード業界とのコラボを考えたりと、
とにかくかなり意欲的に、行動に移してみたが、
すべてが空回りでした。(どこも不景気で当然かもしれません)
もちろん私の努力が足りないのだと思いますが、
あの手この手を使い切ったというか...
10年以上もドレス屋をやってきて、
そこで、もうやり切った感というか...
何をやってももうこれ以上の成長はないと...
あきらめの気持ちが強くなり、
もうドレス屋をやめてしまおうかと...
強く考えていた時期がございました。
まさに「迷い」の渦の中にいました!
そんな時に、伊藤さんという方(前にブログでかいた)に出会い、
「ザ、シフト」という自己啓発的な映画を見ました。
人間の「欲」とか「エゴ」の話なんですが、
この時、私はとにかく、「エゴ」の何がいけないのかと、
映画をみても、何一つ納得していませんでした。
そもそも人間に「エゴ」があるからこそ、
何でもがんばれるものなんだと思っていたからです。
その時の私はズバリ「エゴ」そのものでした!
疑問を持ったまま、
ある日「幸」という名前の喫茶店で、(これも前にブログで)
伊藤さんに、
幸せとは遠くに求めるものではなく、
今ここに見いだすものだと気づかされました。
それでもこの時は、頭でわかっていても、
だから何?という感じでした。
その後の私は、
ドレス以外のことで、
次に自分に何ができるのだろうかと、
考えるようになります。
本当はドレスのデザインとか、経営のことを考えるべきでしょうが、
当時の私は、「何でもお金に行き着く」という経営に嫌気をさしていたので、
それ以外でと考えると、
「中国語」にどうしても行き着くのでした。
長年この「中国語」でドレスの取引に携わってきて、
何か実績というか、記録というか、
よく考えてみたら、自分のレベルがわからないので、
何か資格をと...
「中国語検定」2級をいきなり受け、
1点差で破れます!
おしい!という声もあるでしょうが、
ここから私の心に火がつくわけです!
偶然にも、その年の年末に忘年会がありまして、
(ここで伊藤さんと出会う)
さらに私の人生を左右する新たな友人と出会います!
彼女も中国語をやっていて、
なんと!もうすでにHSKとか、通訳案内士の免許まで持っており、
さらに、「中国語の教員免許」まで持っていたという。
興奮しましたね!
私がほしかった免許をすべて持っていたわけです!
そこで、「中国語検定」なんて、日本人向けの軽いものだから、
本格的にやるなら、HSKの方がいいし、
通訳案内士は、すぐには難しいようだから、
「中国語の教員免許」なら仏教大学の通信があると、
教えてもらいました。
彼女は国語の教師もやっているので、
国語の教員免許を持っている人は、
いろいろ免除があって、
1年間で免許が取れるという!
なんと!実は!
私って、ペーパーですが、「国語の教員免許」を
持っているではないか!
何というタイミング!
と思いましたね!
早速この通信大学を申し込んだことは、言うまでもない!
そして、
その後、大学の通信で、
レポートの人生が始まったというわけです!
先日のレポート地獄の話が、この大学の通信だったわけです。
このあと、
いろいろな「点」と「点」が
一本の線になっていくのですよ...
これはまた時間のあるときに語ります....
つづく~