今日は三回もブログをかいている。
こんなことは初めて(笑)
だれも興味はないかもしれないが...
苦労しただけに、熱く語りたいんです!
この半年間、私を精神的に縛りつけたものだったからですね。
一見、無駄な時間を過ごしたように見えますが、
今となれば、私はそう思えなかった。
そういえば、
大学を卒業して、
社会人になってからも、
いつもよく見る夢があった...
毎回同じ夢なんですが、
どうしても大学を卒業できない夢です!
大学生の頃に卒業に苦労した記憶は全くありません。
今思えば、正夢だったのかもしれませんね...
神様がそうせいって導いてくれているのかもしれません。
そもそも、人生というものは、
何か使命みたいなものを背負っているものだと私は思うわけで...
きっと何か意味があるのだと今は思えます。
(この先きっと役に立つ)
私は大学で国文学科に所属していながら、
「学術的な文章」で書けなかったなんて...
神様が「やり直し」の人生をくれたのかもしれませんね。
学術的な文章というと、なんだか難しそうに思えますが、
普通の文章や会話の中にも、
通じるものがきっとあります。
世の中には、さまざまな人がいて、
いろいろな考え方や意見があります。
自分の要求、提案を相手に伝えるときは、
自分の言いたいことをシンプルに、的確に伝えることが大切ですよね。
言いたいことがたくさんあるからと言って、
あまりにたくさんの要素を伝えても、相手は覚えきれない上、
何が重要なのか分からず「結局何が言いたかったの?」となります。
つまり、
他人に理解してもらうため、あるいは納得してもらうためには、
自分がどういう理由で、
何を、どう考えたのかを相手にわかる形で示さなければならない。
これが学術的だと思うんです。
だから、自分の考えていることを他人に理解してもらうため にも、
論理的な考えが必要なんですよね。
論理というと、
難しい理論をこねくり回して、
相手を論破するための思考のようなイメージをもたれる場合がありますが、
実際は難しいものを単純にし、
構造化(誰が見てもわかりやすく)して、
相手を納得させ、相手と協調するための思考方法なんですよ。
しかし、
この学術的な文章を用いたからといって、よい文章になるわけではない。
逆に、必然性のないテクニックが使われるほど、
文の趣旨はあいまいになり、
論理が見えにくくなるものなんですけどね。
そこが日本語の難しいところですが......
実際私の書いたレポート全然面白くない文章だからね...
だから普段のブログには絶対使いません!
でも少なくとも私は、
今回は有意義な人生勉強となりましたよ~~~
これにて
一件落着
合掌!
というわけで...
熱冷めやらぬうちに、
レポートの話の続きですが、
つまり、
一科目だけのために通信大学を留年中の私...
本来は、一科目だけだからこそ、
すぐに取ってしまおう!なんて
誰しも思うわけですよ!誰しも...
実は9月卒業認定という手もありましたので、
もちろんこれを狙いました!
しかし、この「異文化理解」のレポートを
私はなめてましたね...完全に...
それまでのレポートも、言うなれば苦労はしたものの、
結局はスムーズに合格。
それなりにがんばれば、誰もが合格を手にするものなのだ!
ところがどっこい!
この「異文化理解」は、第一、第二課題とも、
実に三回も不合格をくらいました!
合計で8部も提出し、文字数で言えば
40000字も書いたのですよ!
「テキストをまとめなさい」というから、
まとめれば、不合格をくらい。
「無責任な記述」というから
参考文献を増やしてかけば、出典の示し方を間違えないでくださいと不合格。
「学術的な文章できちんとした仕上がりにしてください」というから
序論、本論、結論でかけば、
「繰り返しますが、まずはテキストの内容をまとめて下さい」とまた不合格。
なんなの!
結局元にもどってるやん!
こんなにも書いているのに
なにがダメなんだ!
文章恐怖症になるのも
お分かりいただけたでしょうか?
何度も心が折れ、
先生を恨んだ。
(研究室まで乗り込んでやろうさえ思った)
そして自信喪失...
私のどこがダメなんだ...
わけがわからなくなった...
結局は、原因がわからないと、
何度書いても同じなんですよね...
「テキストの内容をまとめる」とは、
例えば、
{○○}について、テキスト/〇〇氏は~において、
「......」などとする。これは『○○』の文献からすると......と解せられるもので、
だだし、これについて〇〇氏は「......」と言っている。
このこと考え合わせると......
などと、明確にテキストの内容であることを示しつつ、ということです。
三回目の不合格のコメントにやっと
先生がまともなアドバイスが返ってきて、
これで原因がわかり、
合格に至ったわけです。
原因は簡単なことで...
意外にも
当たり前なことでした。
合格した私のレポートを一部抜粋してみました!
以下です!
「中国における穀食の方法の展開について」
上古における「粉」は、その文字の構成(米+分)からしても、「米」の粉が起源であると推測できるが、許慎の『説文解字』に、「米ハ粟ノ実ナリ。粟ハ嘉穀ノ実ナリ」と。また「嘉穀とは「禾」・「黍」のことで、「禾」の実が「粟」で、「粟」の皮を去った中の仁(種)が、つまり「米」である」と言っていることから、この「米」とは粟、黍などの実の種の総称であることがわかり、つまり上古では「粉」の原料は粟、黍ということになる。「米」にも二種類があって、粟の米を「粱」と呼び、今の中国でいうと「小米」のことで、「大米」(稲の米)と区別している。
こんな眠たい文章が、
つまり正しいレポートということになります。
ここには、
私は思う。
推測する。
とか...
そんなものは必要はないのです!
つまり!
単純に論理展開の文章にすればいいだけのことです。
それには、この文献にこう書いてあったから
こう言えるにしないと...
自分が思うとか、推測するとかは、
根拠のないことです。
根拠がなければ、根拠の書いてある文献をみつけて、
引用すればいいわけですよ。
自分で考えなくても、優秀な先人が研究して
文献にしてくれているので、
それを、
秩序を守り、
言葉を一定の型に統一し
論理的にまとめるだけの話ですが...
それができなかったということです!
いうなれば、
これは当たり前のことなのに、
いまさら学んだということです!
と同時に「これが学術的な文章なんだ」と
今さらながら感動さえ覚えたものです。
つづく......
皆さん
お久しぶりです!
ブログを書いていない間に、
すっかり寒くなり、完全に秋になっていましたね。
さて、
私事で、最近、最もうれしい朗報ですが、
いつも騒いでいる不合格レポートを
遂に合格させることができました!
しかも、これにて
単位もすべて取得!!!!!
あとは、来年の春に卒業、
書類申請し、免許を手にすれば
完了です。
長かった!苦しかった!
もがいた!学んだ!
そして脱力!!!!!
ここで、何の免許?
と不思議に思う方のために...
(どうでもいいか...)
でも書かせてください!
うれしいから...
ご存じ、通信で今、大学生をやっておりますが、
「中国語教員免許」を取得するために、
通信大学を選びました。
なぜ中国語の先生?と思うかもしれませんが、
今までのブログの中に数々理由を書いてきておりますので、
重複しますが、
中国語を使って、
ウェディングドレスの仕事に携わってきておりますので、
中国語できます的な...
何か痕跡というか...
証拠を残したかったのですよ!
ご存じ?前に中国語検定2級という試験を受け、
(これも行き当たりばったりですが)
1点差で敗れたので、
再度挑戦すればいいものの、これは置いといて...
なぜか、こっちの「中国語教員免許」の方を
優先にしてしまったわけです。
決して2級をまだあきらめたわけではありませんので...
順番バラバラですが、
徐々に制覇してやろうと
まだまだ思っております...
そもそも今年の3月に卒業予定のはずでしたが、
「異文化理解」というたった1つの単位を落としてしまい、
落としたというよりは、
提出期限勘違い、提出したら、もう終わっていたという残念な状態。
まあ、自分の落ち度ですが、
それで、
今年4月に、たったこの1科目のために
再入学し、(入学金も再納入)
何とも、もったいない話ですが、
実は、この1科目に半年も泣かされてきました!
終わった今!
思う!
一見、たった1科目だけのために、
無駄な時間を使ったようですが、
実は私とっては、とっても有意義な時間となりました!
人生勉強しました!
このわけは...
次のブログにつづく......
今日も
花嫁衣装第一人者
秋山章の打ち掛けをご紹介します♪
もちろん手描き友禅!
その名も!讃賀奉上

私の一番のお気に入り
秋山章の特徴を凝縮したデザインです。
一.伝統的な柄 花車
二.立鶴(裾の方の鶴が立っています)
三.金の鶴(飛んでいます)
四.白地なのにゴールドがメイン(現代色のピンクが斬新)
五.手描きで仕上げに漆塗の手法
伝統的の中にかわいらしさがあり!
大人かわいい
のイメージを探している貴方
絶対オススメ!
最近ブログがうまく書けなくなってきている。(忙しさもあるが)
先日も「誰でも花嫁になる資格がある」という題のブログを書いたが、
文末を常体で締めくくってみたけど、
なんか堅くて、まったく書きたいことの三分の一も書けていなくて、
不完全燃焼で終わって、なんか消してしまいたい...
実は最近文章恐怖症になっているみたい。
ご存知、大学のレポートをたくさん書いてきているので、
学術的な文章を強く求められ、
とにかく論理的な文章を書くことが多くなり、
正しい日本語を書かなくては...と焦燥に駆られていく。
それに伴い、自分の文章力の無さを反省する日々。
論理的にこだわればこだわるほど、本当の論理とは何かを
追及してしまう自分がいる。
この文は果たして、文法的に正しいかどうか...
気になればなるほど、恐怖心が沸いてきて、
ドツボにはまっていく。
気がついたら、書くことができなくなっている。
それで、昔自分が書いたブログを読み返す。
確かに文法的にかなりおかしな箇所もあるが、
思いのままに自由に書いているではないか?!
もちろん学術的には全くダメかもしれないけど...
なぜか、一生懸命に書いたものほど、
その思いが、今の私に響く書き方になっている。
それでいいじゃないか...
そう思い直し、
また好きなように書いていこう!
こんにちは。
今日も秋山章氏のお着物のご紹介です♪
まだあるの?
はい!今回結構仕入れました!
秋山氏の世界にどっぷり
浸かってしまったのですよ!
今更ながら、やはり日本の伝統のすばらしさを
再認識したわけです!
だから、見れば見るほど
その魅力に惹かれしまう!
そんな今日この頃でございます...
今回の代物は...
その名も『源氏の里』

うっわー

なんという、わびさび!
これは引き振り袖なので、
帯を上にします。
なんて古風なイメージでしょう!
これが「日本美」なんですよね!
着物は本来
これぐらい古典柄でなくっちゃー!
もちろん手描きだから、
その優美な手法は、画像では語れない!
どうか、直接ご自分の目でお確かめください。
和婚が見直された今!
このようなデザインは貴重!
一点ものだから、
人と差をつけるのは間違いなし!
超オススメでーす!
私が着たい!!!!!
私の仕事というのは、
幸せを運ぶものだと自負している。
だからお客様は、皆笑顔で来店し、
笑顔で終わっていく。
そんなのは当たり前だと思っていた。
夢や希望に満ちた仕事だからこそ、
やりがいを感じている。
少し前の話しである。
男性が一人で来店されたことがあった。
実は当店は普通、初回来店は、男性一人でくることはまずない。
大抵は、女性が電話してきて予約をとる。
そして主役の女性の方から、衣装の試着をしていく。
男性はおまけだからという流れもあって、ほとんど後回しだ。
だから男性一人の来店はちょっと不思議だ。
予感は的中!
この男性はある女性のウェディングドレスを探しているという。
もちろん大歓迎だ!と私はすぐに思う。
「いつ使われますか?」といつものように質問をする。
男性は「明日、明後日、いや今日かもしれない・・・」という。
ずいぶん曖昧である。
今まではこんな急な依頼は一度もない。まずは驚いた。
ほとんどの花嫁は少なくとも、一ヶ月以上も前にドレスを決めていく。
こんなぎりぎりは初めてだ...
不思議に思いながらも、「ご本人は?」と聞く私...
なぜなら、ウェディングドレスというものは、お客様の顔を見ているからこそ、
どんなデザインを提案していくかを、考えていくものであり、
何よりもサイズの問題がある。
「本人は来られません・・・」と男性いう。
「というのは?」と戸惑う私...
「病気なんです...」
「ウェディングドレスを着せて送ってあげたいんです...」
「......」
私はこれ以上何を聞いたらいいのか、わかりません。
初めての出来事に、どう対処したらいいのか分からず、
戸惑うだけだった。
「ドレスは販売(買う)方向ですかね...」
そこで販売金額を提示した。
男性もどうしたらいいのか、わからい様子で、
私以上に戸惑っていた。
私は、いつものように、
自信にあふれた営業トークができなかった。
言葉が詰まるばかりだった。
私の頭の中は複雑になって、
いろんな思いの入り混ざった気持ちになっていた。
「どういたしましょうか?」と聞く私...
「考えてみます・・・」と男性も迷っていた...
「また待ちしております」と私...
男性は静かに帰っていった。(名前は聞けていない)
そして二度と戻ってこなかった...
私は後悔した。
すごく後悔した。
自分の接客のすべてに後悔した。
誰にだって花嫁になる資格がある。(いつも自分に言ってきたことだった)
なぜもっと良い提案ができなかったのか、後悔した。
女性の顔がみえなくても、もっと男性から話を
聞き出せばよかった...
もっとプロとして
突っ込んだ会話をすればよかった...
その日に
無理にでも
ウェディングドレスを男性に売ればよかったと思った。
今でもこの気持ちをうまく説明できないが、
今までの中で一番後悔した接客となった・・・
そしてあれからずっと心にひかかっている。
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