今日の多治見は涼しくて、過ごしやすいです!
さて、昨日、又吉の『火花』を読みました。
2、3時間以内で読み終える短編小説です。
芥川賞を受賞したと言う事で、読んでみたいと思いました(^_^;)

ココからは多少ネタバレで書きます。
読み終えて、
そんなに感動的で、内容も良すぎるという
小説ではないが、
文書の言い回しや、構成は、
まぁ、芥川賞を取ったといえば、納得もしています。
どんな小説でもそうですが、
何が言いたいのか、
主題は何なのかという意味で、
彼は行き着いたと思いますし、
私なりに、読み終えて、すぐに捉えたつもりです。
最初はお笑い芸人の相方の物語だと勝手に思ってましたが、先輩の話だったんですね!
最後の終わり方が、これから、その先輩が相方になっていくんだろうなぁって、ニュアンスになっていたと思います。
これも、読み手にご想像にお任せしますという終わり方だと思いますので、私はそう思いました。
そして、私の勝手ながらの見解ですが、
何が言いたかったのか?
つまり、お笑い芸人の真髄ってなんなのか・・・
面白さを追求するって何なのか・・・
それには、どんな生き方をしたらいいのか・・・
結局はそんなところではないのでしょうか?
それは、お笑い芸人の世界だけの話しではなくて、私たちを取り巻く環境や社会、
あるいは自分の仕事も、この物語と共通する部分がいっぱいあるということです!
だから、この先輩のように、
お笑いに対して、超越しすぎても、
社会に認められないし、
努力しすぎても、頂点にたどり着けないし、
また丁度いいというのも、一番難しい。
昔、主人に誘われ、松本人志の「大日本人」という映画を一緒に見たのですが、
これがまた、私にはまったくおもしろくなかったです!
逆に腹が立つぐらいでした!
隣でゲラゲラ笑っている主人にむかついて、
映画を見終わったあと、ケンカになったことがありました。
松本人志の、超越したお笑いの映画だと思いますが、
人によっては、理解できずに不快にさえ思えるということです。
この小説の中でも、その先輩が、お笑いのために、
豊胸手術でFカップにしたんですよね...
主人公に怒られるわけですが、
まさにその通り!不快以外何者でもないです!
売れる芸人と言うのは、
天才とか、面白さも大事だけど、いかに、
世の中の人々に合わせ、難しく考えずに、
いかに単純なお笑いのツボを提供するか・・・
そういう生き方の問題を書いているのだと思います。
じゃどんな方法がいいのか・・・
どんな生き方がいいのか・・・
答えなんてない!ということでしょうね。
それは、自分で見つけてくださいね!
自分で試行錯誤をしてでしか、
つかめませんよ!
ということではないでしょうか・・・
それにしても、又吉は太宰治が好きいうから、その先輩の描写が、
いかにも、
太宰治のだめんずの描き方と似てるなぁと思いました。
この先輩という人物は、本当にだめんずです!
そのお笑いのツボも、
全く私には理解できません!
正直イラっとします!
何が面白いんだー(^_^;)って思いました。
でも、又吉の、お笑いに対しての考え方が伝わってきます。
芸人の世界を垣間見たと当時に、
どの社会も、どんな仕事も、
結局はこんなことだよ!って
そんなことを感じました(^_^)
以上
今日紹介したいのは、
村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」です。
とっても短い本なので、2時間もあれば全部読めちゃいますが、
正直、何も深読みしなければ、つまらない小説です。
すぐにわかりやすいストーリーが始まるわけでもなく、
村上春樹が、自分の思いついた言葉をただテキトーに書きとめているみたいな感じでした。
人によっては、とっても不親切な小説に感じられるかもしれません。
とにかく、伏線を散りばめて、問題を出して、
それで終わりなんです。
物語としては何も語られませんし、
基本的に何も起こらないのです。
ただ「僕」の毎日が淡々と過ぎて行くだけです。
劇的な出来事も避けられ、排除されていると言ってもいいくらいの内容です。
しかし!
深読みすれば、
確かにそこに物語が存在しています!
まるで、文字のない絵本のように、
自分自身がその物語を想像すればいいのです!
つまり!これは、なんか
ナゾ解きの小説ですね。
読者自身で考えてくださいよ!ってことです。
村上春樹は次のようなことをもうすでに文中に書いて説明しています。
「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」
「正直に語ることはひどくむずかしい。僕が正直になろうとすればするほど、
正確な言葉は闇の奥深くへと沈みこんでいく。」
「僕たちが認識しようと努めるものと、実際に認識するものの間には深い淵が横たわっている。
どんな長いものさしをもってしてもその深さを測りきることはできない。
僕がここに書きしめすことができるのは、ただのリストだ。…(略)…まん中に線が1本だけ引かれた一冊のただのノートだ。
僕はノートのまん中に1本の線を引き、左側にその間に得たものを書き出し、右側に失ったものを書いた。」
「僕」の「認識」は、「実際の出来事」と深い淵があって、
そのズレに気づいたけど、正直に語ることは難しくて、
正確な言葉は闇の奥深くへと沈みこんで、
結局深い淵を語れる完璧な文章なんて存在しなくて、
その淵を語り切れないうちは、「僕」は本当の絶望もできないんだ!
ってことでしょうか・・・
私が最も気になった、
そして好きな一説があります。
それは...
ハートフィールドの作品の
「火星の井戸」の引用で、
「風」の意味を暗示するような短編があります。
「ある日、宇宙を彷徨う一人の青年が井戸に潜った。
彼は宇宙の広大さに倦み、人知れぬ死を望んでいたのだ。
下に降りるにつれ、井戸は少しずつ心地よく感じられるようになり、奇妙な力が優しく彼の体を包み始めた。
風が彼に向かってそう囁いた。
「私のことは気にしなくていい。ただの風さ。もし君がそう呼びたければ火星人と呼んでもいい。悪い響きじゃないよ。もっとも、言葉なんて私には意味はないがね。」
「でも、しゃべってる。」
「私が? しゃべってるのは君さ。私は君の心にヒントを与えているだけだよ。」
このエピソードには、「井戸」と「風」という2つのキーワードが登場します。
そしてこの2つの語は対立的に扱われています。
このうち「井戸」のほうは、つまり精神分析的に想定された自我のことでしょうか・・・
「下に降りるにつれ・・・・・」という一文は、無意識の世界に降りていくときの安らぎの気分を表しているかもしれません。
一方、青年が井戸からふたたび地上に出たときに、語りかけてきた「風」とは、いわば「無意識の声」なのでしょうか・・・
もうねーとにかく、
考えれば考えるほど、実は深い小説だということなんですよ。
私は、そんなふうにいろいろと自分なりに解釈して、楽しみました。
だけど、結局は
村上春樹の言うように、
「完璧な文章などといったものは存在しない」
だから私も何一つ、うまく語りきれません...
最近、読書がすっかり習慣になってしまい、
寝る前に、何か読まないと、寝られなくなりました。
二日に1冊は読んでいますが、
どれも感想を書きたいので、
「小説」というジャンルを追加しておきました。
感想は随分溜まっていますが、
ブログのアップが追いつきません...
まずは・・・
「ノルウェイの森」、
少し前に読み終えました。
村上春樹の作品です。
映画にもなりました。
私の印象は、ベストセラーという噂ほど、
衝撃的な内容ではないということ。
物語は至って単調で、
考え方も、この立場なら、そうであろうという、
私には自然な受け止め方しかありませんでした。
ただ、村上春樹の描く主人公の男性って、
なんとなく優柔不断で、あまり好きになれません。
今回の小説で学んだことは、
一言でいうと、
「死」と「生」ですね。
これは、私の人生のテーマでもあるので、
人間が生きる上で、避けて通れない問題です。
私が共感した一節に、
「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」
という部分がありまして、
「死」というのは、どうしても、今生きている私には、無関係と思いがちですが、
いつかはやはりこの「死」に直面する時がくるので、
急に直面したら、誰でも耐えられないということ。
だから、日頃から、「死」は「生」の一部として、
常に考えることが大切だということ。
改めて、この小説を読んで、そう考えさせられました。
私もいろいろ人生に迷うことはよくありますが、
結局は、行き着くところは、常にこの「生きるとは何か」「死ぬとは何か」だということ。
どの小説を読んでも、
今の私には、
「それを考えなさい」って、
言ってくれるような気がしました。
というわけで、また、
次の作品も感想を書きたいと思います。
こんにちは(^^)
今日は昼間23度ありました!
暖かい秋ですね(^∇^)
さて、
読書三昧の私ですが、
昨日お休みでしたので、
湊かなえの「告白」という小説を
一気に読み終わりました!
実は先日始まった
「Nのために」というドラマがあって、作者の湊かなえという人に、興味をもちまして、
まずは処女作の「告白」から読み始めようと、スタートしました。
もちろんいずれ「Nのために」を読みますけどね・・・
というわけで、
本を読んだら、絶対余韻が残るので、
その感じ方を忘れないためにも、感想を書き残したいと思います。
まず、第1章読み終えた時は、
衝撃的でした。
途中からは、だんだん慣れてきて、
でも最後は、私の中では、スッキリした解釈で終了できました。
何より衝撃的だったのは、自分の周りでも、同じことが起こりうる、ということ。
一歩間違えたら、加害者にでも、被害者にでも、なり兼ねないということです。
この物語は、簡単にまとめると、ある女教師が、
自分の愛娘が生徒に殺されて、復讐するというものです。
生徒は中1ですが、中1とは言っても、完全な子供ではありません。
復讐する母親としては、私は当然かもしれない行為だと思うのです。
まぁ、こんなひどいケースはないにしても、
人の命に対する時代の空気、現代の人と人との関わり方、
それを見事に描いていて、怖いほど、身近に感じました。
その復讐する方法が、あまりにも緻密で、冷酷に感じますが、
でもこれが、もし私が同じような立場だったら、きっと同じような事をしたのかもしれないと、
自分にも恐怖を感じました。
人間というのは、本能に生きる動物なので、同種族を殺されたら、
敵対する遺伝子を嗅ぎ分けて、相手を排除したい動物なんでしょうね!
ある意味、それが本能かもしれません。
私は、なんだか読み終えたあと、ありえない話ではないなと思いましたね。
母親からの愛に飢えた天才少年のゆがんだ思考回路も、
母親を殺した少年の奇行も、
無知で未熟なゆえに、加害者になってしまうのかもしれない。
そして、娘を殺された復讐に、いたぶるように2人の少年を追い詰めていく先生も、
どこの世界にもいる、極端な話、私たちの周りにいてもおかしくない人物だと感じました。
そして、
各々の意思が少しずれてしまったり、考えがすれ違ったり、
そういうちょっとしたズレが、結果的に事件になったというのも、本当に恐ろしいことです。
今の現代によくある風景だな、と感じます。
湊かなえは、元教師なんですよね。だから、説得力がありました。
ある意味、彼女が見てきた今の教育現場のありのままの姿を書いているのかもしれないと思いました。
そして、今の教育現場は普通では考えられないようなことが、実際起こっているのかもしれないと思うと
また恐ろしくなるのです。
こんにちは(^o^)
今日はいいお天気ですね!
今年の秋は寒くなるのがなんかゆっくりじゃないですか?
まだ芯から寒いという感じはしません。
さて、秋と言えば、読書ですね!
元々読書好きな私ですが、
最近特に、いろいろと読み漁っています。
少し前は、百田直樹、
五木寛之を読み、
今は、村上春樹を全制覇しようかと・・・
読んでいます。
今日は、村上春樹の初期の頃の作品、
「国境の南、太陽の西」
という小説の感想をと思いまして...
正直全然まとまってませんが、
でもなんか・・
ぼんやりとした感想を
どうしても書きたくなりました。
村上春樹って、
普通の人がよく抱く感情を、
実にうまくその心情を描写しているのが、
すごいと思います。
しかし、心情描写って、なかなか
うまく書けないのが普通なのに、
彼はやはりプロですね・・
あるいは、繊細なのでしょうか・・
本人が経験していなきゃ、
決して描写できないような内容であり、
感受性豊かな人でなければ、
決して書けないものなんですよね!
とにかく、私はその描写の一つ一つに
共感を覚えました。
この小説の内容に・・
「僕は幸せだったと言ってもいいと思う。
でもね、それだけじゃ足りないんだ」
「一番の問題はぼくには何か欠けているということなんだ。
その部分を埋めることは女房にもできないし、子供たちにもできない。
君といると、僕はその部分が満たされていくのを感じるんだ。」
と僕は浮気相手にいうのですが、
(これは浮気する人の心理なのでしょうね)
そしてその後、浮気相手が彼から急に姿を消します。
彼は悩み抜いた末に、
最後に気づくんですよね・・・
「僕はどこまでいっても僕でしかなかった。
僕が抱えていた欠落は、
どこまでいってもあいかわらず同じ欠落でしかなかった。」
「その欠落感そのものが僕自身だからだ。」
ここが私が共感した部分です。
彼の結論は
「僕はひとりの不完全な人間にしか過ぎなかった。」
と最後にたどり着くのです。
そうです!
私たちは不完全な人間だから、
時には過ちを犯すのです。
でも、その過ちに気づくこと!
しっかりとやり直すこと!
それ以上に周りを傷つけないこと!
それが一番大切なんですよね...
小説っていいですね!